HISTORY
心を込めたものづくりの80年
2027年、クシタニは創業80年の節目を迎えます。1947年、静岡県浜松市の小さな革製品の店として始まったクシタニは、地元で急成長するバイク産業と出会い、革ツナギの製造へと踏み出しました。以来変わらぬのは、「より良いものを作って、お客さまの喜ぶ顔が見たい」という創業者たちの素朴な思いです。この80年の歩みを、時代ごとに振り返ります。
プロローグは革服、安全性を模索
クシタニのヒストリーは、第二次世界大戦が終わって間もない1947(昭和22)年に始まりました。夫・櫛谷淑啓と妻・稔子の夫婦に、数人の職人たちが加わって、静岡県浜松市に櫛谷商店という皮革製品の小さな店を開いたのです。クシタニの創業者は全員、皮革を扱う技術を持った職人であり、革ジャンパーや革コートなどの衣類を中心に製造販売していました。革という素材の特徴を熟知し、革を使って衣類などの製品を作り上げる技を磨く職人たちが、クシタニの原点でした。
当時の日本は敗戦の痛手から次第に立ち上がり、さまざまな産業が芽吹き始めていました。そのひとつがバイク産業です。1950年代の日本には大小150社ものバイクメーカーがひしめき合い、なかでも浜松の周辺はバイク産業が特に盛んな地域でした。現在、日本に存在する4大バイクメーカーのうち、実に3社が浜松周辺から誕生したのです。バイク産業が発展するうえで、レースは欠かせません。メーカー同士が技術を競い合い、さらなる発展と生き残りをかけた戦いでもあるレースが、各地で盛んに行われるようになりました。そのひとつが1953年に開催された第1回富士登山レースでした。当時の日本はレースも発展途上の段階で、出場ライダーの装備も不十分。レースといっても大半は未舗装路が舞台で、ライダーの多くは布製のウェアを着用していたのです。革製のウェアも存在していたものの革ジャンパーと革ズボンが上下別々で、万一の際の安全性は現在と比べ低かったのです。
そこで浜松に本拠を置く鈴木自動車工業(現・スズキ)が、第1回浅間高原レース出場にあたって上下がつながったレース用ウェア、すなわち革ツナギ(レザースーツ)を発案しました。欧米先進国のレースでは革ツナギが定着し始めた時期でしたが、当時の日本には革ツナギなど存在せず、詳しい情報も皆無。スズキのレース担当者は、同じ浜松で革製品の製造を行っていたクシタニに「上下がつながった革のレースウェア」の製造を注文しました。このことが、クシタニがバイク用ウェアの製造に関わるきっかけになったのです。
クシタニの創業者たちは、バイクにもレースにも特に深い関わりを持っておらず、もちろん革ツナギを目にしたこともありません。それでも「良いものを作ってお客さまに喜んでいただきたい」という思いと、遠州地方ならではのとにかくやってみようの「やらまいか精神」から、初めての革ツナギ製造にチャレンジ。文字通り革ジャンパーと革ズボンをつなげたような形で、初めての革ツナギを作り上げました。
こうして第1回浅間高原レースに、日本初のクシタニ製革ツナギが登場しました。その結果、出場したライダーたちから「クシタニの革ツナギは良かった」という評価をいただきました。布製ウェアなどでレースに出場する例は減り、レースに出る際は革ツナギを着用するという意識も上昇。以後、浅間火山レースなどに出場するライダーたちの多くがクシタニの革ツナギを着用するようになり、クシタニもライダーたちの期待に応えるため、革ツナギの改良を進めていきました。ライダーから寄せられる要望を聞いたり、雑誌に載った欧米メーカーの革ツナギの写真を研究したりすることで、クシタニの革ツナギはどんどん進化していったのです。
1960年代に入り、日本の各メーカーが世界GPレースへの挑戦を開始すると、日本のライダーだけではなく、外国人ライダーたちもクシタニの革ツナギを着用するようになりました。欧米は皮革衣料に関して長い歴史を持ち、レース用のウェアでも古くからの名門メーカーが存在します。しかしクシタニを着た外国人ライダーたちからは「クシタニの革ツナギは優れている」と、やはり高い評価が寄せられたのです。国内レースでも海外レースでも、クシタニの革ツナギは多くのライダーに愛用されました。1960年代以前はモトクロスでも革ツナギが使用されており、それだけ数多くのライダーからさまざまな要望をいただきました。
1950~1960年代、日本のバイク産業が発展していく過程と並行する格好で、クシタニも製品作りの技術を高めたのです。現在のクシタニを支える基盤が出来上がった時期といえます。



浜松から東京、大阪そして全国へ
革ツナギの製造と販売で成長したクシタニは、1970年代に入る頃には革ツナギ以外の製品も取り扱うようになりました。バイク用の手袋やブーツを自社で製造販売するだけではなく、定評ある海外ブランドのバイク用品などの販売も開始したのです。クシタニ創業者である櫛谷淑啓と稔子夫婦の子供たちが、バイク好きに成長したことも要因でした。レースに出場するライダーの要望に応えるのはもちろんですが、公道をツーリングする一般ライダーが何を求めているのかについても、自分たちが実際にバイクを楽しみながら実感していたのです。
櫛谷夫婦の子供たちは、それぞれに家業を手伝っていました。その中のひとりである現・会長の櫛谷 久は、1971年に東京営業所を設立しました。浜松のクシタニ本社が製造する革ツナギなどを販売しながら、首都東京の利点を活かしたビジネスを模索。それまでは町の小さな皮革製品の店だった浜松のクシタニ本社も、1971年に正式に法人化して有限会社櫛谷商店になりました。
素朴で一徹な職人気質がすべての支えだったクシタニですが、1970年代以降はさまざまなサービスを効率よく提供する視点も交えて、本格的な企業として歩んでいきます。以降、浜松のクシタニ本社と東京のクシタニ東京営業所は、力を合わせてクシタニというブランドを育て上げていきます。浜松本社は優れた革ツナギの研究開発や製造を進め、東京営業所はお客様の嗜好やマーケットの動向をキャッチし、より良い製品作りに活かします。首都東京の周辺はバイクやバイク用品に関しても日本最大のマーケットであり、クシタニが東京に営業所を持った意味はとても大きかったのです。東京営業所を運営する櫛谷 久は、自らトライアル競技に出場し国際A級ライセンスを取得した生粋のバイク好き。ライダーとしての感覚で新製品のアイデアを次々に発想し、浜松のクシタニ本社へフィードバックしていきました。
1970年代は、バイクやバイク用ウェアを取り巻く環境も激変。1960年代以前、革ツナギはほとんどレース専用のものであり、着用する人は限られていました。そしてクシタニの場合、革ツナギはライダーに合わせた完全オーダーメイド。ライダーの採寸は、創業者の櫛谷稔子が自ら行っていました。しかし1970年代には、一般公道を走る一般ライダーにも革ツナギが広く普及しました。浜松の本社や東京営業所で採寸し販売するだけでは、全国から寄せられる需要に応えることが至極困難になりました。そこで1977年から日本全国にクシタニショップを展開し、各地のお客様にクシタニ製品を身近に感じていただけるよう、新たなチャレンジを行いました。革ツナギの採寸に関しても、各地のクシタニショップで正確に行えるシステムを構築し、採寸のためにわざわざ浜松や東京までお越しいただく手間をなくしました。
そうした新しいシステムを作り上げた一方で、「革ツナギを新調するときは、やはりクシタニのお母さん(櫛谷稔子)に採寸してもらいたい」、「手袋一双を買い換えるのでも、浜松のクシタニで吟味したい」とおっしゃるお客様も少なくありませんでした。時代がどれほど変わっても、クシタニの職人気質を愛して下さるお客様がいらっしゃることに、スタッフ一同は感激し思いを新たにしたものです。お客様のニーズに応えるべく新たな試みを実践していきながらも、創業当時から続く職人気質は絶対に忘れない。この原点は、クシタニの全スタッフが常に肝に銘じていることです。
もちろんレースでもクシタニの革ツナギを愛用してくださるライダーが大勢いました。あるメーカーのワークスチームはテスト現場に向かう早朝の時間に浜松のクシタニ本社に寄り、破損した革ツナギやブーツなどを置いていき、日中にクシタニの職人が修理し、それを深夜の帰路に引き上げる……という連携も行っていました。サーキットでの修理サービスも、クシタニが日本で最も早い時期に開始。他社の革ツナギでも安全のため修理するというレーシングサービスは、現在も変わらずに続けています。
二輪文化に貢献する企業へ
1980年代、日本は空前のバイクブーム、レースブームに沸きました。若い世代を中心にスポーツバイクが爆発的に売れ、レースの世界も大きく盛り上がったのです。バイクの売れ行きに比例して革ツナギの販売も驚異的に伸び、その巨大な需要に応えるためクシタニもうれしい悲鳴を上げていた時代でした。
革ツナギの製造はオートメーションでの大量生産ができず、現在も一着ずつ手作業で仕上げています。良質な革を選び、パーツに合わせて適切な部位を裁断、ライダーの身体にぴったり合うように縫製するのは、経験を積んだ職人が念には念を入れて作業するしかないのです。つまり、革ツナギの製造にはどうしても手間と時間とコストがかかるのです。革の選択や裁断の基準を甘くしたり、縫製を適当に切り上げれば、手間やコストは下がるでしょう。しかし、クシタニのポリシーがそれを許しません。できるだけ多くのお客様にクシタニの革ツナギを届けたいものの、品質に妥協はできず悩みを抱えていた時期でもありました。一方で、ワイン・ガードナー、グレーム・クロスビー、ランディ・マモラと名だたる世界GPライダーは、そんなクシタニの姿勢を高く評価していました。クシタニ社長になってからもライダーの採寸を自ら行っていた櫛谷稔子は外国人ライダーたちから「日本のママ」として慕われ、「契約金の額に関わらず、ずっとクシタニの革ツナギが着たい!」と訴えるライダーもいました。これこそがクシタニの、品質と安全性、スピリットを示す最大の証拠でしょう。
革ツナギは、急速に進化しました。万一の転倒の際に身体を保護するプロテクター、動きやすさを高めるシャーリング。ハングオフ時に膝が路面で削られるのを防ぐニーセンサー。夏場の暑さを軽減する革のメッシュ加工。ライダーからの要望に応え、クシタニはいずれも早い時期から製品化しています。しかしマシンが進化するのと同時に、革ツナギに要求される項目も増えていきました。タイヤが滑ってスリップダウンする転倒に加え、ライダーの身体が空中に投げ出され路面に叩きつけられるハイサイド転倒が増加。それだけ、革ツナギのプロテクション性能がより強く要求されるようになったのです。革ツナギに使用する革も1960~1970年代は軽くて動きやすい薄手の仔牛革が主流でしたが、1980年代以降は丈夫さを最優先して厚手の成牛革を採用しています。海外メーカーの革ツナギは厚手の革で硬く動きにくいことも多かったのですが、クシタニは厚手でもしなやかな上質の革を使用。これも外国人ライダーからも評価されていた点です。
レースブームを背景に革ツナギの需要が高まったのと同時に、安全性や快適性、ファッション性を兼ね備えたテキスタイルウェアも好評を博しました。レーシーでハードなイメージが強いクシタニブランドに対し、ツーリングメインでアウトドアなイメージのブランドとしてEXPLORERもスタートするなど、製品のバリエーションも幅広くなりました。
そして、企業としてのクシタニも成長していきました。1981年にクシタニ流通センターを設立、翌1982年には(有)櫛谷商店から(株)クシタニに変更。1986年、浜松市三島町に本社社屋を新設。1988年にイギリスのマン島にMANX-KUSHITANIを設立……と、海外マーケットも視野に入れた事業を展開。1989年には、栃木県黒磯市(現・那須塩原市)に那須エクスプローラーサーキットを建設しました。お客さまにバイク用ウェアを製造販売するだけにとどまらず、バイクユーザーの皆さまにバイクを安心して楽しんでいただける場を提供するのが目的でした。敷地内にヴィンテージバイクのミュージアムを併設するなど、多角的な視点でバイク文化を構築することも模索していました。現在、那須エクスプローラーサーキットは那須モータースポーツランドに名称が変わり、所有者も変わりました。それでも多くのライダーに愛され、気軽にサーキット走行を楽しめる場であり続けています。バイクを楽しむ場の提供とバイク文化の構築という当初の目的が果たされ、建設したクシタニも安堵している次第です。
ものづくりを深め、技術革新を進める
日本における空前のバイクブームが収束したのは、1990年代に入った頃のこと。バブル崩壊も重なり、バイク用品のマーケットは沈静化の時代に突入したのです。1980年代のブーム期があまりにも盛況だっただけに、1990年代以降に起きた需要の落ち込みの影響は小さくありません。
しかし絶対的なマーケットが縮小する状況に際しても、クシタニは創業当時の姿勢を忘れません。本当に優れた製品を作り、お客様に喜んでいただきたい……という職人気質です。レザースーツは良質な革を選び、最適な裁断を行い、熟練した技を持つ職人が懇切丁寧な縫製をして完成させていきました。グローブやブーツ、ジャケットやパンツ、テキスタイルウェアなども、最高の品質を追い求める基本姿勢は変わりません。デザインは時代に合わせても、品質や安全性や快適性では決して妥協しなかったのです。
技術的な研究開発も怠らず、クシタニのものづくりが積み重ねてきた知見と経験を起点に、さらに一歩先へ進める実行力の強化も行いました。1990年代以降、クシタニはザイロンやケブラーなどの強靱な新素材をレザースーツと組み合わせ、より高い運動性を持たせています。革に撥水加工を施し素材自体に撥水性を持たせたプロトコアレザーや、自宅で洗濯が可能なエグザリートレザーなど、ブランドアイデンティティの素材も深化を模索。こうして、唯一無二の革を生み出したのです。そんな試行錯誤から革の安全性とジーンズのファッション性を両立させた新製品、エクスプローラージーンズが生まれました。従来のライディングパンツと一線を画したソフトな風合いで、エクスプローラージーンズは、現在でも幅広い層のお客様から支持されています。品質向上や技術革新は絶え間なく続けてきたことですが、ものづくりを事業とするブランドの存在意義と提供価値を改めて見つめ直し、未来のクシタニを形づくった時代ともいえます。
そして1990年代末から2000年代には、アメリカやヨーロッパで新たなパートナーシップを結び、クシタニブランドの浸透を図っています。アジア諸国でもレザースーツの普及やレースの支援、バイク文化の振興を目的としたイベントなど、さまざまな活動を展開しました。
多様化する挑戦、新たな結実へ
2010年代には新東名高速道路の清水PAや浜松SA、名阪国道の道の駅「針テラス」などにショップやカフェを開業し、バイクユーザーを問わないタッチポイントを拡大。ショップが存在しない各地域では移動型の期間限定ミニショップ「クシタニプロテント」を催したりもしています。さらにサーキット走行会である「クシタニライディングミーティング」や、ライダーがコーヒーを飲みながら語らう「クシタニコーヒーブレイクミーティング」など、新たなイベントも開催しています。
2021年、クシタニ浜松本店をCONCEPT SHOPとして移転オープンしました。約600平米の広さを有する店内には歴代のクシタニライダーが着用したレザースーツを展示するほか、創業当時の櫛谷商店を復元したヘリテージゾーンも創出。世代交代が進み若いスタッフも増えているなかで、原点を具現化して改めて立ち返る機会としての意味もあるリニューアルオープンでした。その後もスタイルに固執することなく、クシタニの挑戦は続きました。2023年には長野県王滝村の御嶽スキー場に日本屈指のオフロードパーク「ONTAKE EXXPLORER PARK」を開園。このオフロードパークはテストフィールドも兼ねており、ここで検証を行った後に、2024年オフロードウェアを本格再始動・販売を開始しました。
そして2025年、クシタニは世界最高峰のレース現場からのフィードバックを受けて進化させてきたレザースーツの新ベースパターンとして「NEXUS3」を発表。この「NEXUS3」の最新プロライダー仕様を着用する小椋藍選手が、翌2026年MotoGP第10戦オランダGPの決勝レースで最高峰クラス初優勝を果たしました。
現在、クシタニの経営は創業者の孫の世代へと継承。創業から80年の歳月が過ぎ、バイクを取り巻く情勢は大きく変化しました。クシタニが手がける革ツナギも、1950年代の製品と最新モデルでは似て非なるものに進化しています。それでもなお変わらないのは、「より良いものを作って、お客様の喜ぶ顔が見たい」という強い願いです。クシタニを創業した職人たちの素朴で一徹な思いは、現在のクシタニスタッフ全員に受け継がれています。新しい試みを果敢に行うチャレンジ精神も、クシタニ創業者たちが初の革ツナギ製造を成し遂げた「やらまいか精神」が息づいている所以です。
「より良いものを、より安全で快適なものを」という創業以来のスピリットは、インターネットやSNSなど通じて国や言語を軽々と越え、バイクを愛する世界中のライダーと直接結びつくことができるようになりました。クシタニの思想から生まれた製品だけでなく、場やイベント、そしてそこに集うライダーの輪 が広がっていくことを願って……。クシタニは、安全の世界を創造します。





